芦沢央さん『カインは言わなかった』感想

2020年1月29日

『許されようとは思いません』、『火のないところに煙は』とずいぶんプッシュされているなと思っていたので、『カインは言わなかった』が162回直木賞候補にならなかったことに驚いていたのです。だって、2019年のプッシュといい、カインの版元が「文藝春秋」だったことといい、「これ絶対来るだろ」と思っていたわけです……が、来なかった!

ので、読みました(いや、来ると思っていたのなら先に読んどけよって話なんですけど)。

独断と偏見による、芦沢央さんのオススメ作品

ちなみに、芦沢央さんの作品は、『罪の余白』(2012年)、『悪いものが、来ませんように』(2013年)、『許されようとは思いません』(2016年)、『火のないところに煙は』(2018年)あたりでしょうか。どんどん作品が面白くなっていく作家さんだと注目していました。

個人的には、『許されようとは思いません』、『火のないところに煙は』の2冊がとくにオススメ。ミステリがお好きなら『許されようとは思いません』、ホラー好きなら『火のないところに煙は』を! とくに『火のないところに煙は』はカバーも凝っていて素晴らしいですね!

あれ、「カインが入っていなくない?」と言われそうがですが……個人的にはオススメしません。リーダビリティがあるのでとても引き込まれたんですが、これは好き嫌いがわかれると思います。

『カインは言わなかった』 感想

「世界のホンダ」と崇められるカリスマ芸術監督率いるダンスカンパニー。その新作公演三日前に、主役が消えた。壮絶なしごきにも喰らいつき、すべてを舞台に捧げてきた男にいったい何があったのか。
“神”に選ばれ、己の限界を突破したいと願う表現者たちのとめどなき渇望。その陰で踏みにじられてきた人間の声なき声……。様々な思いが錯綜し、激情はついに刃となって振るわれる。

 

動画を見ると、芸術にかけた男たちの渇望、闇、嫉妬などが絡み合ったサスペンスというふうに見えるのですが、実際に読むと違うんです。読んでいて続きは気になりますし、引き込まれるのですが、「芸術」を描いた作品なのかという気がしてしまう。サスペンスの構成に、「芸術」を利用しているだけにも見えます。

はじまりは、公演の三日前に主役が消えたところから。この舞台に全てをかけていた彼になにがあったのか?

登場人物は、芸術に懸けた人たち

誉田(カリスマ監督):ダンサーを追い詰めて指導する。世界のホンダ。
藤谷誠(ダンサー/兄):公演の主役に抜擢されるが、直前に失踪。弟に劣等感を持っている。
藤谷豪(絵描き/弟):天才タイプの芸術家(?)。澪というモデルばかりを描いている。
尾上(ダンサー):藤谷がいなくなったあと、主演を目指して誉田にしごかれる。
その他:元団員の江澤、舞台直前に熱中症で亡くなった穂乃果、そして豪の絵のモデルである澪

主人公が誰なのかいまいち分からないんです。あえていうならば、「芸術」かもしれません。しかし!

視点人物は次の4人(イレギュラーで出てくる誠をのぞく)なのです。

嶋貫あゆ子(誠の恋人):いなくなった恋人を探す普通の大学生
尾上和馬(誠の代役を目指ずダンサー):誉田の理不尽にひたすら耐えて主演を目指す
松浦(穂乃果の父):娘を亡くし、元団員の江澤と接触する
皆元有実(豪の恋人):豪は危ない男だと思いながら別れられず、モデルの澪に嫉妬

おわかりでしょうか?

尾上以外は、普通視点から「芸術」を傍観しているのです。理解してのめり込んでいくとか、忌避していくわけでもなく、消えた恋人を探したり(あゆ子)、娘の復讐を考える妻に従ったり(松浦)、恋人との関係に迷い殺してしまいたいと思ったり(有美)といった感じで、視点人物の4分の3が、芸術の傍観者。恋人を探すパートは危機感がないし、有美がそこまで豪にのめり込んでいる感じもしない。この普通の人たちがものすごくリアリティがあるので、「芸術家」の壊れっぷりと対比したかったのかもしれませんが……。

こんな状態なので、「芸術」以外のサイドストーリーが大量にあって、なにが書きたかったの焦点がぼけてしまいます。

この作品。芸術の厳しさを描きながら、サスペンスに落とし込んだ作品なので、サイドストーリーは確かに必要なんですよ。ただ、そのサスペンス部分が「芸術」に取り込まれた人たちが起こしているのでリアリティがない。まだ「芸術」だから仕方が無いというほど、「芸術」の部分が素晴らしければ気にならなかったかもしれません。が、「芸術」の部分ピンとこない。

「芸術家」として壊れているというより、「人」として壊れているので。

一番の原因は、監督の誉田が「世界のホンダ」に思えない点だと思います。役者を追い込む指導方法がなんとも。合宿でろくに寝させないって、「体が資本のバレエダンサーを?」と目眩がしました。精神的に追い込むことでよい舞台を作るというのは理解できるけれど、リアリティはどこいった。

誉田のやり方が精神を追い詰め、さらに肉体まで損なうようなものです。睡眠と食事を取った上で体を絞るのではなく、精神的に追い詰めて体が尖るのは違うのではないかと。尾上のパートは、追い込まれていくダンサーという視点で読むととても引き込まれるのですが、指導法がひどすぎてむしろ冷めます。誉田の指導法が「追い詰めて尖る=芸術」的なので、(そういうのもあるかもしれんけど)ダンサーの体が壊れるよとしか思えない。

天才だからこの指導なのではなく、こういう指導だから鬼才っぽいでしょとアピールされているように感じてしまいます。そもそも誉田の人物像がぶれている。アンチ誉田(江澤など)の評価が低いのはさておき、この人、ほんとに凄い人なの?と謎に感じてしまうマスコミ評価。

マスコミに関しては他にも問題が。穂乃果は公演の前に練習場で熱中症で亡くなっているのですが、代役を立てて行った舞台が「本物の死の舞踏を表現した伝説の舞台として話題になった」というのもちょっとリアリティがないです。普通は叩かれるから。

というふうに……サスペンスのためにあらゆることが都合良くリアリティを失っている感じです。

いや、これで、サスペンス部分が面白ければよかったんですけど……。

最初は、誠がいなくなったのは何故か、そして主演を演じるのは誰かという謎に引っ張られます。その後、どうやら誠は犯罪を犯して出られないのではないかという謎に変わってきます。読者は、きっと誠がやったわけじゃないのだから、「誰がやったのか?」を推理することになるのですが……。う、うーん。「芸術に翻弄された人たちの罪」というより、「人として壊れた人たちの犯行」にしか見えませんでした。

一番の問題は、誉田のキャラクターがぶれているし、「世界のホンダ」と言われるような人物に見えないからだと思うんですよね。

これ、バレエじゃなくて芝居だったらまた違う感想だったとも思うのですが……。

ネタバレありの感想

(ネタバレ)
最終的に、豪(弟)を殺したのはモデルの澪です。誠は彼を殺していないけれど疑われると思い(公演に出られない)、誉田の指示に従って弟の死を隠します。

澪の描かれ方が薄いので(有美視点のみ)、消去法でそれしかないと思ったけど、いきなり来たなという感想になってしまいます。

澪は、絵のモデルをしていたせいでレイプされています。レイプした男は、<storm>という絵をじっと見ていて、そのあとに澪を狙ったのです。あるときモデルを一方的に解雇されます。解雇の代償として、彼女は<storm>を希望します。彼女はその絵を「守りたかった」。でも、彼女は刃物でその絵を切り裂こうとします。それを止めてほしかったのに、豪は止めず「いいよ」というのです。

この動機がわかるようでわからない。また、

(ネタバレ)
誉田が弟の死を隠させたのは、豪が亡くなった事実を加味して公演を評価されたくなかったから。つまり、公演のみの純粋な評価が欲しかったというのです。兄の誠も「舞台に立つため」だけに亡くなった弟と三日を過ごし、通報しない。

どれも芸術を求めたために起こった罪と解釈するべきなんでしょうか? 個人的にはそう思えないんですよね。ミステリ的な驚きのために、「芸術」が利用されたようにしか感じない作品でした。

まとめ

『カインは言わなかった』も面白くないわけではなかったのですが、『許されようとは思いません』や『火のないところに煙は』がとても良かったので、個人的には「これ直木賞候補にならなくて良かったんじゃ」とさえ思った。

リーダビリティはあるので、誉田のキャラクターが気にならない人で、ミステリ的なラストすっきりを求めていないのであれば、とても面白いと思います!

もっともっと評価されて欲しい作家さんなので、次作に期待!