どうやっても一次が通過できない(純文学編)
一般文芸編はこちらです。これの純文学編をまとめてみたいと思います。かぶる部分も多少ありますが、純文学用に内容を見直しているので、エンタメ編も読んだけどーという方にも新しいかもしれません。
そもそもなんで改めてまとめてみようと思ったのか?
「どうやっても一次通過できないんだけど、なんで?」と顔見知りに聞かれたからです。エンタメの人ですが、どこが悪い?といわれても、ここといえるはっきりした欠点はありません。
それでも落ちるのは何故か……簡単な話です。このレベルの書き手がごろごろいるんです。
いろんな方の投稿作品を読ませていただいた感じだと、応募作の5割以上が小説の形式に添ったものが送られてきていると思います(賞の大きさなどで変わってくると思いますが)。
が、実は純文学では「読む意欲」をラストまで継続して読める作品は10本に1~2本くらいかもしれません。
エンタメだと引っかかるところはあってもラストまでそこそこ面白く読めます。瑕疵があったり、ご都合主義だなと思うことはあっても、ラストまで読む意欲が持続することが多いです。
純文学って面白さを求めるジャンルではないよね?といわれそうですが、通過作品はエンタメとは違う面白さ(興味深さ、引かれるもの、中毒性)があります。
今回は、私が感じる「エンタメとは違う面白さ」的な観点から語ってみたいと思います。
前提事項(一次とはいえレベルは高い)
一次落ち作品でも、うまいなと思う作品はたくさんあります。
純文学関係は、出せばほぼ最終手前までいくハイワナビや、最終通過者の方と交流がありましたし、通過作品を拝見してきました。その方達でも、一次落ちするときは落ちます。
たとえば、
・文章も普通にできている
・小説のお約束に添っている
・最後まで読んで残るものがある
・別作品での最終や上位選考の実力者
これでも、落ちるときは落ちます。逆にいうと、このレベルの作品が多数送られてきていると考えたほうがいいです。
その中から1割が通過すると考えてみましょう。10本中1本と考えるといけそうな気もしますが、下読み視点で考えてください。一回に読むのが50本とすると、5本上げて、45本落とすになります(短編~中編なので、もしかしたら一人の受け持ちはさらに多いかもしれない)。
上位の実力者も多数応募してくる中、45本を蹴落とす力が作品にありますか?
純文学はさらに通過が少ない賞も多いので、50本から、1~3本しか上げられないかもしれません。トップ3に入れますか?
でも、受賞作を読んで、既存の作家の作品を読んで、「なぜこれに負けるんだ」と考える方がいらっしゃるのもわからなくはないです。それなりに小説が書けていれば「何が違うんだ」と腹立たしく思うのも当然です。
ただ、選考している人たちが見ているのはそこじゃないんですよ。小説として形が整っているのは前提で、その先を重視している気がします。
純文学の人は文章力を重視する傾向があるけれど……
小説を書いている方は、文章の上手い下手を以下のような点で評価している気がします。
・語彙力があって同じ言葉が続きで出ない
・表現力がある(ごく一般的な)
・地の文が書けている(地の文が多い)
・情景描写と感情描写を合わせられる
・文章が硬い(またはやわらかい)
技術的な面にばかり注視していますが、これはできる人が多いです。純文学はエンタメに比べて、これらの技術レベルが高い人が多いです。そのため、文章で上に行くような方は、段違いですなんです。書けるレベルではなく、感性(センス)が抜けています。
さらに、通過作品をいくつか読ませてもらった感じだと、純文学といえ、賞によってはそれほど文章の技術面を重視していない気がしています。驚かれると思いますが、けっこう本気でそう思っています。
文章が多少酷くても、「独特のセンスのある書き手」や「テーマが目新しい作品」は通過している印象があります(というか、実際に文章がいまいちでも上位にいっている作品を複数知っている)。
おそらくですが、純文学カテゴリーで重視している「文章力」は、前述したような一般的な文章技術ではありません。
では、一般的ではない(過去に拝読して目立つなーと思った)文章技術についてまとめてみたいと思います。
実験的な文体
ある程度の文章技術をもたない作者はやってはいけません(というかできない)。
・主語がない
・一文が長い(または短い)
・会話文と地の文が混在してカオス
・A面とB面が混在しててカオス
・特定の表現を避ける
・逆に特定の表現(または描写)を濃くする
主語がない、一文が長い(短い)はわかりやすいと思います。会話文と地の文が混在するというのも、まあ想像できるかな。
A面とB面が混在というのは、「過去の私と現在の私が混在して、さらに文体まで違う」くらいのカオスです。2者(自分と自分、自分と他人、夢と現在)が混在する文体もあれば、2時間軸が混在する世界を文体でかき分けるなどの作品を指します。
特定の表現を避けるは、枷をつけることで何らかの効果をもたらす技術です。たとえば、会話のカッコをなくすとか、心情描写を排する、視覚情報を一切入れないといったものです。
正直、心情描写と視覚情報なしの2つをうまく書き切れる方はほとんどいないと思います(会話のカッコをなくすくらいはまだしも、2者混在、2時間軸混在も難しいだろうなと思います)。
文章技術がやばいというのはこのレベルを指すわけで……、一定レベルの技術をもった純文学志望者の中で目立つには、このくらい必要なんじゃないかと思います。
勢いがある
たたみかけるような文体、または静謐で作中に引き込まれるような文体というのがありまして、この人たちは、わりと通過している気がします。
勢いがあるといわれても「?」って思われるでしょうが、読んでいるとするする読めるものと、読めないものがあります。
・短文を多くし描写を減らしている(でも情報量は多い)
・一人称で、視点人物の思考がスムーズ。さらにキャラクタ性がある。
・三人称で、キャラと作者の距離感が正しい
・情報の出し方がうまい
・章や節の終わりに読者の気を引くクリティカルな文が入っている
するする読める作品は、このような点のどこかで優れています。
表現力がある
一般的な表現力ではなく、高いレベルにある表現力です。突出してうまい作者を指します。正直なところ、表現力はセンスだと思っているので、どうやったら高レベルになるのかわかりません。
とはいっても、構成・ストーリー・キャラクターが下手(もしくはあまりに普通)だと落ちます。
表現力を磨くことは大事ですが、
・センスなので身につかない人は身につかない
・プロや選考上位での「表現力がある」は「多少表現力がある」レベルではない
・表現力だけで上にいくわけじゃない
なので、「表現にこだわっている」とか「表現力に自信がある」という方は、それだけで上にいくのは相当難しいと理解したほうがいいと思われます。
ライバルの多そうなテーマ・素材を使っている
競合の多いテーマ・素材で上に行く
競合の多いテーマ・素材でも受賞していますが?
単純な話です。
①テーマ、素材はかぶっていますが、料理の仕方がうまいからです。
・視点が面白い
・よくあるオチになっていない
・小説が圧倒的にうまい
これらの「新しさ」、または「圧倒的な完成度」がないかぎり、おそらく上位は難しいと思います。メインテーマ(またはストーリー)こそ競合が多いけれど、サブテーマ(ストーリー)が新しいというのでもよいと思います。
または、②文章・表現・感性が尖っているからです。
料理の仕方がうまい
たとえば、昨今よく出てくるのがLGBTQをテーマにしたもの。最近では、LGBTQを使ったものを読むと「またか……」と思うようになってきました。読者でこれなんだから、選考に関わる人はなおさらではないかと思います。
多くは「LGBTQゆえの苦しみ」とか、「LGBTQフレンドリーな中でも、なんとなく疎外感を感じる」的なものばかりです。ちょっと新しくて、「LGBTQが浸透してきたゆえのレッテル付け(への違和感)」とか、「LGBTQを特別視してほしくない」といったテーマとかでしょうか。
LGBTQ関係が出てくる小説テンプレートみたいなものがあるなと個人的には思っています。
・ゲイの男性が結婚を考えた→母親一人に育てられたので孫を見せてやりたい→でも恋人を諦められないし、自分をいつわりたくない→カミングアウトで母親に拒絶される→最後は母親が理解をしめす(または理解されないが主人公は自分らしく強く生きていこうとする)
ここまでコテコテのテンプレではなくとも、どこかでみたような流れになっているテンプレート小説が多いように思います。
「LGBTQを使ったらダメ」とは思わないんですよ。問題は料理の仕方です。たとえば……
・周囲が書かない主人公にする
・LGBTQフリーの運動を「そっとしといてくれないかなぁ」と見つめるLGBTQ当事者(すでにある??)
・LGBTQのレッテル付けに抗う当事者(すでに、より幅広い意味でレッテル付けへ疑問を抱く受賞作があるので遅い気もしますが)
などのように、LGBTQに苦しむ主人公や、LGBTQ差別へと抗う主人公ではないキャラクター設定にすると他作品と区別できます。
広義の意味でのレッテル付けに対する受賞作というのは『N/A』です。同性愛者も出てきますが、すべてを善人に書かず、典型的なようでそうでないキャラクターを描くといった上手さがあります。
感想も書いているので、気になる方はご確認ください。
・LGBTQ全てを善人に書きすぎない
被害者側として描く人が多いせいか、かわいそうな善人ばかりとか、みんな健気でいい人ばかりって小説もあります。もう少しキャラの配置を考えたほうがいいです。
・視点やオチに工夫をする
たとえば、LGBTQへの差別がなく、よき理解者の主人公を持ってきます。ゲイの友人がいて、彼に対しても非常に優しく、よき友人づきあいをしているように写ります。が、じつはゲイの友人からしたら「自分を見下している友人」と認識されている。
といった、悪役を書いたり、視点による善→悪への転換みたいなものを入れるのもありかなと思います。
文章・表現・感性が尖っている(または他に比べて抜けている)
テーマ、素材はスルーして、最近の受賞作で文章等で話題になった作品を2つ上げておきます。
『ハンチバック』(2023文学界新人賞)や『貝に続く場所にて』(2021群像新人文学賞)は前者は尖りで、後者は巧みさで話題となりました。
わりと多いんじゃないかと思うテーマ・素材
一般文芸編でも書いたんですが、純文学でも、いじめ、夫のモラハラ(妻のモラハラ)、貧困などは多そうな気がします。
それから、癒やされ小説も多いんじゃないかと。都会の暮らしに疲れて田舎へとか、家族、友人と触れあい前向きになれるとか、雄大な自然に圧倒されるとか……。過去を見つめ直す系の作品も多そう。
また、これらのテーマに関わってくる「親子関係」。だいたいが、「本当は両親は私を思っていた!」とか、「不器用な父親」とか、「苦労する母親」になりがちで、さらにラストで親子の絆を描いたりすると、正直、またかという印象は持ってしまいます。
純文学の創作者は書ける人が多いので、テーマが決まっていれば、それなりに読める作品になります。そうなると、「何が悪いの?」となるのも当然で……。わかるんですが、読者としては食傷気味というか、心引かれないんですよね。
あとは、DV、LGBTQ、病、不登校、ネグレクトとかでしょうか。
ちょっと昔にまとめたリストですが、今もそんなにかわってなさそうな気もします。これらのテーマが悪いわけではないんです。このテーマで描くなら、新たな切り口、目新しい視点が必要なんです。
なんとなく難解な小説
純文学でときどき出会うのは、「わかるような、わからないような、難しい小説」です。読んでいてもとくにストーリー性があるわけではなく、なにがテーマだったのかよくわからない小説。たまにあります。
言い方は悪いですが、一歩間違うと(合わないと)、ただただ退屈な小説になります。
実際のところ、この手の作品は「どのへんまで通過するか読めない」ことが多いです。私が純文学よりもエンタメ好きのためで、読解力がないといわれればそれまでなんですが……。
ただ、「描ききった上での難解」と「うまく描かれていないために難解」な小説があります。
前者の場合はひたすらチャレンジあるのみですが、後者の場合は要注意。自分では書けているつもりのため、落ちる理由がわからず「さらに難解で意味不明な方向へ」いってしまう方がいらっしゃいます。難解だから落ちてるのではなく、描き切れていない、さらに光るものがない(文章・表現・感性など)のでは?と立ち止まって見直ししてみましょう。難しくすればいいってわけじゃないんです。
うまく書ければ強いなと思う小説
世界観がすごい小説は、うまく書けさえすれば強いなと思います(とくに最終まで上がると強いイメージです)。
オブ・ザ・ベースボール
百年泥
工場
クチュクチュバーン
まとめ
純文は「なぜ落ちたのか」を明確にしにくいジャンルだと思っています。受賞作と比べて、何が悪かったのか、どこがだめなのか。
エンタメだと相性もありますし、リーダビリティや構成、ネタの尖度(鮮度)、わかりやすさなど、わりと明確になるんですが、純文学はわりと総合的に捉えられている印象がします。
一人ではなく、複数の意見を聞いて、多角的に「できていない点」「落ちたと思われる原因」を探ることが大切だと思います。