小川哲さんがよくわからない! 『嘘と正典』の感想

2022年7月31日

よくわからないのは小川さんというより『嘘と正典』なのかもしれないですが、『ゲームの王国』で引っかかってしまった本読みとしては、小川哲さんがわからないにしてみました!

すごい作家が出てきたなと思う反面、なんとなく諸手を挙げて「好きだ!」とは思わない作家さんなんですよね。でも、すごいなぁとは思うのです。

小川哲さんとは?

東京大学博士課程2年次に、第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞(『ユートロニカのこちら側』)。2017年、『ゲームの王国』で、日本SF大賞と山本周五郎賞を受賞。これで一気に名前が売れました。その後、2019年に『嘘と正典』を刊行。第162回直木賞候補となっています。

東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。学生時代にはアラン・チューリングについて研究されたとか。

ちなみに、アラン・チューリングですが、イギリス人で、数学者で、理論学者。暗号解読者として有名で、ドイツ軍の暗号「エニグマ」を解読したことで知られています。また、人工知能の父ともいわれ、人工知能問題でよく出てくる「チューリング・テスト」はアラン・チューリングが最初に提唱しています。

なんとなく、小川哲さんと違和感のない研究テーマだよなと思えるような。ちなみに、アラン・チューリングについて知りたい方は、映画がオススメです。

『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』

アラン・チューリングを演じるのは、「SHERLOCK」の主演であるベネディクト・カンバーバッチ! すごく似合っている。

はっ! 話がそれた!

『嘘と正典』の感想

上質な短編が6つ揃った傑作短編! なのに、個人的になんとなく引っかかりを覚えてしまうのはなぜかを考えて見ました。

するりと入った人にとっては、アイディアは素晴らしいし、淡々と綴られる作風もプラスに働くだろうと思うのです。ただ、私自身はいくつかどうしても無視できない引っかかりを覚えてしまって、「ものすごい傑作だ」と思うのですが、最後に「!」をつけることを躊躇ってしまうのです。そういう意味で、この作家さんは個人的にとても難しいです。

零落した稀代のマジシャンがタイムトラベルに挑む「魔術師」
名馬・スペシャルウィークの血統に我が身を重ねる「ひとすじの光」
東フランクの王を永遠に呪縛する「時の扉」
音楽を通貨とする小さな島の伝説を探る「ムジカ・ムンダーナ」
ファッションとカルチャーが絶え果てた未来に残された「最後の不良」
CIA工作員が共産主義の消滅を企む「嘘と正典」(書き下ろし)

「魔術師」

マジシャンの理道(父)は、一度はマジシャンとして頂点に立ちながら、経営面で失敗し、自身のせいで泥沼へと転げ落ちます。語り手の僕が生まれたのは、父と母が離婚したあと。その父がマジシャンとして再起をかけ、話題になります。そして父から、僕と姉へ公演の招待状が届くのです!

父親が行っている新しいマジックは「タイムマシン」。過去へ行くことはできるが、今へ戻ってくることはできません。過去の自分と会って、映像を撮り、年を取って帰ってくる(※)という、タイムマシンマジックが披露されます。そして理道は、「42年前へ行く」といって爆発音とともに消えてしまったのです。どこへいったのか? タイムマシンはあるのか、ないのか? あるなら、タイムパラドックスはどうなっているのか? ないなら、仕掛けはなんなのか? 謎が謎を呼ぶ仕掛けで、頭が混乱してきます。
※19年前に飛んでも、今へ帰ることはできないので、19年の歳月をその世界で生きて、マジック会場へ戻ってこなくてはならない。

これを解き明かそうとするのが、自らもマジシャンとなった姉。姉も舞台に立ち、父と同じマジックを繰り広げるのです。語り手の弟がいろいろな考察をしていくので、それを読みながら一緒に推理をしていく、ミステリ的要素もあります。

過去と現在、舞台とタイムトラベル先というふうに、短編なのにおそろしく時間が入り乱れた作品のため、最初は何度も混乱しました。

ラストをどう解釈するかが難しいのですが、結局、「タイムマシンがあったのかどうか」は明確にはなりません。個人的な解釈を以下で述べますが、これが正しいのかは不明。

個人的には、タイムマシンはなかったと結論づけています。なぜなら、タイムマシンがあったとすればタイムパラドックスが起こることになるからです。しかし、タイムマシンがないのならば、父が消えてしまったことに説明がつきません。何故なのか? 「ない」はずのタイムマシンを「ある」ことにするために、父は消えなければならなかったのだと考えました。つまり、ラストで、「それが本物であっても、偽物であっても」起動してはならないと弟が考えたのは、タイムマシンがあっても、なくても、「人が消える」ことだけが確定しているから。(ネタバレのため、白文字にしています)

この解釈が正しいのかはさておき、こういう結末は実はあんまり好きではないです。が、6作品の中では一番面白かったです。というか、作品として凄すぎるよ!

「ひとすじの光」

僕は作家でスランプ中。亡くなった父の残した馬の処遇を決めてほしいとの書類を受け取る。父親が馬を所有していたことを彼は知らなかった。彼は、テンペストという名の競走馬を譲渡することを躊躇う。そして、彼の手元に、スペシャルウィークという馬の系譜について書かれた父親の原稿が届く。

というかんじで始まる、「馬の系譜」と「家族」の話。ものすごくいい話です。個人的には6作品の中で1番一般受けする作品じゃないかなと思います。SF色薄め。とてもまとまったいい作品です。いい作品なんだけど……するするとうまく行きすぎるんだよなぁ。

「時の扉」

この世はあまりにも多くの嘘であふれかえっています。その中でももっとも大きな嘘を検討するところからお話をはじめましょう。
その嘘とは「未来は変えられる」というものです。――『嘘と正典』より

ということで、遠い場所からやってきた語り手は名を明かさず、この長い話は「私が名乗るところで終わるのです」といいます。

出だしは好み過ぎて、震えました! こういうの好き!

実際、名乗ったところで「語り部」と「王」の正体が明かされる仕掛けはよかったです。よかったんだけど、個人的には童話風の小話が今ひとつ乗れなかったです。小話では、登場人物たちが過去を改変していきます。改変したところで、話がぽんと飛び、最後に繋がっていく。おもしろかったんです。作品としてはものすごく好きなんですが、個人的には「王」の思考を決定づけた要因が今ひとつ小さくて。歴史上あれだけの出来事が、その小さなところから起き、以前にすれ違った相手の人生をずたずたにすると考えれば、バタフライエフェクト的で印象深いのかもしれません。読み方次第だと思います(ようは私が悪い)。

これを男の物語と捉えるか(歴史改変)、時の扉でごったにされた夢(幻想)と考えるか。個人的には夢と捉えた方がまだ納得できるんですけど、たぶん普通に歴史改変でうまく収束した物語なので前者で正解。……個人的にはすっきりせずに終わってしまった。

「ムジカ・ムンダーナ」

取引が音楽でなされる島。大河がそこへやってくるところから始まります。この島でもっとも裕福な男が所有している、誰も聞いたことのない幻の音楽を求めてやってきたのです。
大河と音楽、そして大河と父の物語でもあります。これもよくまとまった作品です。すんなり読めるのですが、個人的にはラストで放り出された感じがちょっとありました。このラストをどう捉えるかなんだろうな。

「最後の不良」

流行に関する物語。「流行をやめよう」というテーマで会員を増やしたMLS。世界は均一化し、流行そのものが消滅した世界です。そこに、反旗を翻した桃山だったがという話。純文学的ではあるけれど、総合的にはそういう感じでもない。短いのでさらっと。

「嘘と正典」

個人的には、「魔術師」と本作が一番印象に残りました。

時空を超えての歴史改変もの。アメリカとソ連の冷戦時代を描いた、まっとうな傑作歴史改変ものです。アメリカ(CIA)のスパイが、<<エメラルド>>というソ連の情報提供者と協力して、「共産主義のない世界を作る」ために歴史改変しようという話。

ものすごく面白かったんです! マルクスとエンゲルスがいなければ、共産主義は生まれなかっただろう。そして、エンゲルスは過去に裁判で有罪になりかかったところを、逆転で無罪判決を勝ち取っている。もし、エンゲルスが有罪で流刑されていたならば……、2人は出会わず世界が変わったはず!

冒頭のほうに出てきた正典の守護者とか、計算量とか、歴史戦争とか、気になる単語に「?」と思いながら読み進める本作は、すっごくどきどきしました。

重要人物はもう1人いて、ドイツ人のクライン君。最初の登場で、唐突に「子どもってどうやってできるか知っていますか?」という謎の声かけをしてくるので、違和感がめちゃくちゃありました。それにまともな回答をするスパイ。ここがかなり浮いているのに、2人の間ではこの受精卵の話が繰り返されるから、その度に違和感。そして最後まで引っ張り「やっぱりか……」と。

「時の扉」が先にあるので、それから結末を連想しそうになります。それをうまく裏切ってくれるので気持ちよく面白い!

が、個人的には結局ラストでつまずくんですよね。なんというか。登場人物の選択が「シナリオの1つ」として、未来の組織に操られているというのですが、その考え方自体は分かるんですよね。わかるんだけど、どういえばいいのだろう……これ、どう捉えたらいいの?

<個人的疑問。ネタバレを含むので白文字>
ストークスは600年先の未来から続いたリレーのアンカーというのはいいのですが、彼はどうしてその指示に従ったのか謎すぎる。同じく、クラインも。なんであっさり受け入れているのかが、引っかかってしまって(いや、クラインはちゃんと理由があったけれど、それがあっさりすぎて私が戸惑った)。

これらはスルーしたとして……。クラインの時代には送信機が世界に数台しかなかった。というなら、年代的には余裕があるのだからもっと後ろの時代の誰かを中継者にすればいいのではと思ってしまう。この時代に歴史改変をしようとしたスパイたちがいるからといっても、それは邪魔するだけでよかったはず。上位組織が「ここでクラインにさせるのが最善!」と判断したの? いやでも……(考えが止まらない)

236年の制限ってどっからきたの?(物理的な何かがあるのかな?) もっと幅を小さくしたら、クラインを中継者にする理由ができたのでは?

いや、そもそも、三日間にわたってメッセージを送り続けたって。ストークスは疑問も持たずにそれを受け取ったの? ん?

そもそもこれではストークスさん自体が偽証しているようなので、これもまた歴史改変なのでは? 正典の歴史自体が「改変されたもの」なのか、どんな改変でも正典を守れればいいのか? そこらへんがよくわからないまま。

共産主義を潰そうとするスパイ、その上に歴史を守ろうとする組織があって、その中継者がスパイの近くにいたというストーリー(構造)はとても面白かったんです。おそろしく面白かったのです。おもしろかったけれど、違和感がありすぎてはまりきれず。結果、へっぽこスパイめ!と罵りたくなる(ごめんなさい。エンタメな超人スパイの見過ぎ)。なんか引っかかってしまうのです(もっかい謝っておこう。ごめんなさい)。

いや、でもすごくおもしろかったんですよ!! 私が読めていないだけな気もするんですけど、細かい部分が書かれていないのでなんとなくすっきりしないまま終わってしまいました。ミステリでいうところの、トリック(ミステリ)のための配置と設定という印象が残ったせいかなと思います。歴史改変ネタだけはすごくおもしろいのですが。

まとめ

純文学というほどには、純文学へ振ってきていないように思います。文体もそうですが(わかりやすいですが、フラット。きれいだけど、余韻はない。個人的にはエンタメ作家としてはこういう書かれ方はわかりやすくて好きです)、構成もそうかなぁと思います。純文学とか哲学にちょっと片足が入ったSFに見えるのですが、充分にエンタメでもあって。とてもおもしろかったです。

ただ、私がこの手のSFを苦手にしているので、たぶん読み方が悪いんだろうなとも思うんですよね。"この手のSF"をうまく説明できないのですが、純文・哲学的で、しっかりネタを入れてくるような作風です。純文・哲学的でありながら、筋や設定、登場人物が物語(ひいてはネタ)のための無機物に見えるから苦手なのかもしれません。そのため、いろいろとひっかかりを覚えてしまうのかも。

たとえば、ムジカでなんでおじいちゃんが「ピアノ弾けるだろう」といったのかがよく分からないし(いや音楽を持つもの同士分かりあえるのかもしれないが)、正典でクライン君とスパイの出会いが不自然で引っかかったり……。1つや2つならまだしも、小さな引っかかり大量に出てくるので、なんとなく物語りに入り込めない。

そのせいか、ラストの落としが「余韻」と感じられず、「すっきり(はっきり?)しない」とか、「こうなるのか……」となんとなく落ちきれないんですよね。

正直、おそろしく面白い作品ではあるので、「もっとがっつり入り込んで楽しみたかった!」という気持ちが残った本作。たぶん作者の新作出たらまた読むと思います!